B-Max Racing ストーリー第8話

B-Max Story

スーパーフォーミュラへの参戦

B-Maxレーシングとして参戦するようになった2014年からの3年間は、全日本F3では名門トムスを脅かす存在になり、スーパーGT(GT300クラス)でもコンスタントにシリーズ上位に名を連ねるようになった。
組田自身も“DRAGON”として全日本F3(Nクラス)にステップアップを果たし、毎年順調に戦績を積み重ねていた。

しかし、チームの戦績や経営が安定し始めると、組田のなかでトップフォーミュラへの想いが募っていく。その想いは日に日に膨らんでいき、ついに2017年から念願のスーパーフォーミュラへ打って出ることを決断する。

組田は自分の性格を「慎重な部分と無謀な部分が同居している」と分析する。そして、「レースに関しては無謀な部分が出る」とも。これまでも「結果は後で考えよう、とりあえずやってしまえという感じでした」。その典型がスーパーフォーミュラへのチャレンジだった。

この参戦をきっかけに、組田はB-Maxレーシングを会社組織として独立させるが、その社長に就くことになった宮田は当時のことをこう振り返る。
「組田さんから何の相談もなく(スーパーフォーミュラを)やるから、と言われました(笑)。僕はお金がとんでもなくかかりますからやめた方がいい。F3とは桁が違いますよと言いました」。

これまで何かにつけて宮田に相談をしてきた組田だったが、トップフォーミュラへの想いは強く、その決断が揺らぐことはなかった。ここからのチームの苦労は想像に難くない。

新興チームの苦悩

他チームには、監督にタレント性、スター性があり、スポンサーを比較的集めやすいチームもある。しかし、B-Maxレーシングにはスター監督もいなければ、ネームバリューもない。このため、チーム運営はミドルフォーミュラに参戦するジェントルマンドライバーからの運営受託、屏風浦工業からのスポンサード、ドライバーの持ち込みスポンサーフィーなどが活動資金の中心になる。

ドライバーの選定にあたっても、いわゆるメーカー系チームではないB-Maxレーシングは、メーカー育成枠の有力若手ドライバーを乗せることは難しい。必然的にその選択肢は絞られ、勝てる可能性のある外国人ドライバーを乗せることが多くなる。

しかし、コロナ禍の2020年は外国人ドライバーの来日がままならず、苦しいシーズンを過ごすことになった。

本山監督の起用

そんな苦境に立たされることもあるが、組田は勝つためにあらゆる手を尽くす。1998年、2001年、2003年、2005年とトップフォーミュラで4度のチャンピオンを獲得し、勝ち方を知る本山哲を監督に招聘したのもそのひとつだ。

「本山さんのレースに対する熱量は凄くて、勝つための厳しさも持っています。チームは厳しさのなかでしか急成長できないと思っています。だから、弱小チームですが来てくれませんかとお願いしたんです」と組田。

ここまで読んだ方にはお分かりだろうが、組田が見込んで起用した人材は必ずチームに貢献し、結果をもたらす。

2019年ルーカス・アウアーとハリソン・ニューウェイが表彰台を獲得し、2020年はシリーズ終盤からドライブした松下信治が最終戦で表彰台に登った。2021年も第3戦オートポリスで3位、第4戦SUGOで4位、第5戦もてぎで3位と、安定したリザルトを残し、最終戦鈴鹿ではポールポジションを獲得した。チームは確実に力をつけてきている。

もちろん、監督だけの力ではないが、チームをまとめ上げ、結果に繋げるうえで監督の果たす役割は大きい。

(9)に続く

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