オリジナルF4マシンの開発
2010年からF4にも進出したB-Maxエンジニアリングは、すでに入門用フォーミュラマシンのノウハウを蓄積していたため、コンストラクターとしても名乗りを上げることになる。
当時のF4は、日本自動車レース工業会(JMIA)が開発した共通のカーボンモノコックを使っており、いくつかのコンストラクターがマシン製作を行っていた。
B-Maxエンジニアリングも、屏風浦工業と取引きのあった東京R&DのF4マシンをベースに、オリジナルF4マシン「RK-01」を造り上げた。RKは組田龍司のイニシャルである。
そして、このマシンのデビューを演出したのが、今や押しも押されぬトップドライバーの関口雄飛である。
鮮烈のデビューウィン
2011年4月、東日本大震災の影響で開幕戦がキャンセルになったF4東日本シリーズの実質の開幕戦、第2戦が富士スピードウェイで開催された。ここにシェイクダウン間もないRK-01が登場し、関口雄飛のドライブにより雨の予選、ドライの決勝ともに圧倒的な速さを見せデビューウィンを飾ったのだ。
この勝利はマシン性能もさることながら、関口の力によるところが大きかったのは言うまでもない。
関口はこの頃、2008年の海外挑戦を資金的な都合で断念し、帰国後参戦した全日本F3でもシートを失っていた。そこでスーパーFJでコーチを務めていた繋がりで、自らRK-01の開発ドライバーを志願しての参戦だった。
実は、関口を組田に引き合わせたのは、B-MaxエンジニアリングでスーパーFJに乗り、レーシングカート時代から関口を良く知るジェントルマンドライバー吉田基良だった。この縁がなければ、今のトップカテゴリーに参戦するB-Maxレーシングはなかったはずである。
「関口はその頃からちょっとアウトローな感じでした。僕はそういう選手が好きなんです。ちょっと跳ねっ返りぐらいの方が面白いじゃないですか」と、組田は当時を思い出しながら目を細める。自身もそうだったから惹かれるのかもしれない。
このF4での勝利が、B-Maxエンジニアリングと関口にとって思いがけない飛躍をもたらすことになるのである。